元花魁・誰袖を癒した“無刀の仇討ち”――喪失から笑顔への再生を心理学で読みとく
◼️笑いとの出会い:共感と共有が始まりを拓く
転換点が訪れたのは、蔦重が完成させた黄表紙『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』を誰袖に届けた時でした。このときの誰袖の表情はまだ固く、蔦重の声かけにも反応できないでいましたが、蔦重の来訪を受けいれて縁側に座る場面からは、回復の兆しが見て取れます。癒やしが必要な、④再生準備の時期です。そして朗読される物語の主人公「艶次郎」の滑稽な振る舞いに、誰袖は初めて微笑みを浮かべたのでした。
「呪うのはやめにしねえか」。蔦重の言葉に後押しされたように、誰袖は、雲助(意知)のために死のうとするも死にきれなかった。人を呪詛することで報いをうけたかった——などと、これまで言えなかった思いを口にします。
■新生への選択:桜と共に生まれた許し
気持ちを他者に打ち明けたことにより、心に溜まっていた膿を出すことができた誰袖。しかし自分が立ち直れば、意知を裏切ることになるかもしれない…そんな葛藤もあったのでしょう。
「許してくださりんすかねぇ、雲助さまは。後すら追えぬ、情けないわっちを」。
そんな心と共鳴するかのように、葉桜の花吹雪がまるで亡き意知からの「許し」のメッセージのように降り注ぎます。
自分はもう、許されていい。笑って生きていいのだ。——葉桜を見上げる彼女の微笑みは、穏やかに晴れていく己の心、新たな人生を歩み出す第一歩を象徴しているようです。
【まとめ】
誰袖の物語は、喪失と復讐(仇討ち)という普遍的なテーマを通じて、人間の心の脆さを映し出しました。
大切なものを失った時の衝撃は、経験してみなければ分からないものです。しかしながら、生きていれば必ずそれは訪れます。ならばそれに直面した時、どうやって悲しみと怒りを乗り越えるのか。——それは今回ご紹介したキャサリン・M・サンダーズの「喪失の5段階」を思い出していただければ、心の対処法が見えてくるでしょう。
復讐や怨念に身を焦がす先に、真の救いはありません。しかし失った事実と悲しみをゆっくりと受けいれたその先には、必ず光があります。怒りと悲しみ、苦しみを独りで抱え込まず、周囲と分かち合うことの大切さを、誰袖の姿は私たちに教えてくれているのです。

歌川国安が描いた「大もんしや内」「誰袖」。「瀬川」同様、「誰袖」も大文字屋を代表する花魁が名乗っていた。
東京都立中央図書館蔵
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